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小田原攻めに耐えた!水の要塞・忍の浮城 天正十八年(1590年)6月9日、豊臣秀吉の命を受けた石田三成が、北条方に属する武蔵忍城(おしじょう)攻略のため、堤防を構築しました。 堤防を構築した日付については、9日とも7日とも言われているのですが、とりあえず今回は、本日・9日の出来事として書かせていただきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 天下目前の豊臣秀吉が、最後の大物・北条氏を攻めるべく開始した小田原征伐(3月29日参照>>)。 秀吉が、北条氏政・氏直らの籠る小田原城を22万の大軍で包囲したのが、天正十八年(1590年)4月3日でした(4月3日参照>>)。 一方の北条勢は5万6千ほどだったと言われていますが、そのすべてが小田原城に籠っていたわけではありません。 ・・・というのも、関東一円にはたくさんの北条傘下の支城があり、その城主が軍を率いて小田原城の籠城に参戦しているものの、その留守を預かる城兵が、その支城には残っているわけで、攻める秀吉としては、その支城も落さねばなりません。 そこで、秀吉は自らが率いる本隊と、海から小田原城を睨む水軍とは別に、それらの支城を攻撃する別働隊も派遣して
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